日本語は柔軟だからこそ難しい
Twitterを見ていると、こんなツイートが流れてきた。
【天才降臨】幼馴染の次男君、0点だった国語の解答が天才だった。。先生様、これは💯だと思う。 pic.twitter.com/PcpKkM361E
— jin (@jinn_n) 2018年1月17日
問題の説明をあまりちゃんと読まない悪い癖のある私は、さっとひらがなと漢字の羅列だけを見て、なにこれ、ことごとく一日ずれているじゃないか、なんでそんな覚え方をしてしまったんだ、と一瞬思ってしまった。確かにこれじゃあ0点だ。ただ、ツイートでは100点をあげるべきだ、とある。どうしたものだろう、と問題文を見たのはその時であった。
「つぎの 日づけの ひらがなを かん字に なおしましょう。」
あっ。なるほど、この少年は「つぎの日づけ」、つまり翌日を漢字で答える問題と理解してしまったのか。スレッド内のツイートで、少年は0点だったことに肩を落としているという話もあり、自覚はなかったのかもしれないが、まるで現代の一休さんのようなとんちが効いた解答である。天才降臨はちょっと言い過ぎかもしれないけどね。
深読みだと言われればそれまでだとは思うけれど、何気なく列挙された内容に対して使ってしまう「次の」という言葉の使い方を意識させられた。最近の例であれば、論文を読んだり、書くときにも「以下の」「次の」というような書き方で戸惑うことがしばしばあるからだ。
英語に比べて文型が多く、柔軟な表現が豊富な日本語だからこそ感じる難しさなのではないだろうか。そう思うと、日本語を自由に使えるのはすごいことだなあと感じるものである。