輝き ~ 脱・三日坊主計画

要約だよ人生は

忙しいうちが華?

忙しいアピールをする人間は、嫌われるとか、仕事ができないだとか、深層心理そのものにマイナス面があるのだという。しかし最近は冗談でなく寝ているとき以外の行動一つ一つがせわしなくなってきて、私自身もこのブログやTwitterなどの至る所で忙しいアピールをしてしまっているように感じてくるようになった。それでも忙しいアピールを極力抑えようと、最近は言動までが自主規制という名のフィルターに濾しとられてしまっている気さえする。

周囲との距離ができてしまうことに抵抗がある私は、自身がその忙しいアピールをする人間になっていないかどうかを確かめたく、ふとTwitter上での私が忙しそうに見えるかどうかをアンケートを取ってみることにした。
「忙しそうに見える」、「どちらといえば忙しそう」「どちらかといえば暇そう」、「暇そうに見える」の4択で取った結果、60票程度集まったが、心配は杞憂だったようで結果はほぼ均一に分かれた。これら選択肢は、おそらく投票者自身の忙しさと比較して選ばれることだろうから、「暇そうに見える」と回答した投票者はきっと私以上に多忙を極めていると思われる。結局のところ、忙しいのは自分だけではなく、誰もが同等に忙しいのだろう。

研究生活と同人活動を並行し、私とは比べ物にならないほど数々の締め切りに追われているであろう大学の友人からは、「忙しいうちが華」という言葉を頂いた。仕事先でも社長からしばしば「学生は色々やることがあって羨ましい」なんて言われたりする。忙しいということは美しく表現すれば、それは日々が充実しているということにも置き換えられるのである。
忙しさを忙しいなりに楽しめたらきっと苦労しないんだろうなあ・・・。