輝き ~ 脱・三日坊主計画

要約だよ人生は

大学には音楽好きが集まる?〜音楽に関する所感

お久しぶりです。毎日更新が途切れて以来、このブログを1年以上も書いていなかったようです・・・


UEC Advent Calendar 2019 23日目の記事です。昨日はid:puman03さん!

puman.hateblo.jp

基礎科学実験A!懐かしい響き、電通大を合格した受験生にいきなり立ちはだかる大壁。Pythonを使って実験データの処理というのはやはり鮮やかですね。今でこそある程度プログラミングができるようになったものの、当時はそんなスキルもなく、私は表計算ソフト(いわゆるExcelとか)にデータをぶち込んで汚いスプレッドシートを生成し続ける日々を送っていました。現在履修している方、これから入学する方、プログラミングを始めるきっかけにするのはどうでしょう?


とっくの昔に就職活動も終わり、学生生活も残りは修士論文を書くだけ、みたいな雰囲気に突入した今日この頃。そんな私の日常に、絶えず栄養を与え続けている趣味が一つ。

「音楽」である

幼少期から中学時代にかけて*1ピアノのレッスンに通っていた私は、中学や高校では吹奏楽やらオーケストラを経験し、大学に入学してからは弊学のサークル「ピアノの会」にて再びピアノに触れていた。この12月には、かつて通っていたピアノ教室の講師からのお誘いを頂き、講師が定期的に開催している生徒の発表会にゲストとして出演させていただいたりもした。一介のアマチュアピアノ弾きの私に、まさかそんな機会を与えられるとは思いもしなかったものだ。 小学生だった頃の私の将来の夢はピアニストだったと記憶している。ここ数年の間に、縁があって音楽大学に通う同年代の学生や、コンクールに出場を続ける方々との交流があり、その演奏や意識を目の当たりにしている今の私としては、「練習もろくにしていないんだから早々に現実に向き合ってくれ」と過去の自分に物申したいところであるが、今はこうして自身を自身たらしめる特徴となり、音楽をやっていなければ出会うこともなかった様々な出会いや経験に繋がっているのだから人生は分からないものである。ピアノを習わせた私の親にしてもまさかこれほど長く続くとは思ってもいなかったらしいが、ここまで来るともう一生続きそうな勢いである。"NO MUSIC, NO LIFE."なんてキャッチコピー*2もあるが、私から音楽を取り去ったらそれはそれはつまらない人間になってしまうだろう。

前置きが長くなってしまった。この大学のコミュニティに属してからすでに5年以上も経っているのだが、このコミュニティは明らかに音楽と深い接点を持つ人間が多いと何度も感じさせられてきている。別に何かしらの統計を取ったりしているわけでもないし、自身が割と熱心に音楽活動をしていることに依るバイアスがあるといった可能性は否めないが、少なくともこれまで属してきた集団と比較していくとどうも有意ではないと言い切れないのだ。

弊学の男女比はおよそ7:1ほどで、理工系の宿命か、まあ男ばかりに偏っている*3。ここで突然だが、過去を振り返ってみる。まず小学校の頃、女子に関してはピアノやらヴァイオリンやらを習っている者は割と見かけたものの、男子に関しては希少種であった。地方の新興住宅地の小学校では、クラスに1人いるかいないかといった所だったか。そんなわけで、小学生の私はピアノを習っているというだけでも若干奇異な目で見られていた。中学校に入学し、吹奏楽部の見学に行けば、「男子!?マジ!?」と一気に騒然。結局、その年に入部した16人のうち、男子は私を含めて2人だけ。とまあ、幼少の頃から楽器を演奏している男子は少ないのだ。

高校に入ると、軽音楽やバンドが身近になり、これをきっかけで音楽活動を始める男子が増えてくると思われる。私の母校は男子校で、軽音楽の部活は無かったものの、文化祭でのライブに向けて有志でバンドが結成されていた。とはいえ、700人程度が在校する中、毎年出演していたバンドは数組程度であった。このほか、管弦楽と合唱に分かれた音楽部があり、私はそちらに所属していた。従来からの楽器経験者の方が珍しく、これを機に楽器に触れる者も多かった。しかし、私が所属していた頃から部員の減少傾向に悩み出している次第で、合唱団に至っては卒業後に廃部となってしまった。とてもじゃないが音楽人口が多いとは言えない状況であった。

さて、大学はどうだろうか?最近は学域生の講義が輪を掛けて厳しめになったのも手伝ってかサークルの加入率の低下が嘆かれているものの、少なくとも音楽系サークルが廃部の危機になっているという話は聞こえてこない。また、それらのサークルに所属しない学生においても、昔にピアノを習わされていたとか、吹奏楽をやっていたとか、実はこっそり楽器を練習している、などといった学生が驚くほど多く潜在している。これほど男子が多いにも関わらず、である。さらに、サブカルチャーに趣向を持つ学生を多く抱える弊学では音楽を含む創作活動も盛んであり、元より音楽活動を続けてきた学生からの知識・技術の伝授も広く行われている。

しばしば話題に上がるトピックの一つとして、「東大生の多くは昔からピアノを習っている」というものがある*4。東大といえば、最近では角野隼人氏のような東大院発のピアニストも話題である。このトピックに対する答はしばしば「楽器の演奏が頭脳に良い効果を与えている」もしくは「楽器を習わせられるほど教育に対する余裕がある家庭で育っている」に二極化するものだが、いずれにせよ教育段階が進んでいくにつれてコミュニティの濃縮が起こり、音楽に携わっている人間の割合が増えていくというのはだいたい共通しているようである。とはいえ弊学は単科大学であり、巨大な規模の下で選択肢がいくつもあるような総合大学とは一線を画するキャラクターを持つ。そんな中でも、音楽系サークルや創作系サークルの選択肢がしっかりと用意されているのは、弊学に音楽好きが多いという歴然とした証拠ではないだろうか。 音楽にまつわる現象には多くの数学的性質が備わっており、古来から両者の関係性について多くの研究がなされている。理系であれば、高校物理の波動分野あたりで少なからず学んでいるはずだ。脳波も音波も電波も光波も、帯域は異なるものの「波」の性質を持っている点で共通する。理工学と音楽の距離が近いという事実もまた、このコミュニティにおける音楽人口の多さに起因しているのは間違いないだろう。

ところで、「楽器演奏」は比較的金、というか初期投資と時間を費やす趣味であるのは確かである。音楽活動を日々の糧として第一線で活躍する演奏家たちは、子供の頃から精力的に活動していれば「神童」と謳われ、さらには「天才」と崇められるのが通例だが、彼らはそれこそ我々のあたり知らないところで長い時間楽器に向きあい、極めて反復的かつ効率的な練習、巨匠級の講師による指導をはじめとした莫大なコストを注いでいるのだろう。これは音楽活動に限らないことだろうが、「天才」という言葉は、先天的な特徴に結びつくものであるというよりかは、一般人なら根気が足りずに続かなくなるところを、何時間でも何日でも飽きずに集中することができる強靭な地力に掛かっているのではないかと考える。 しかしながら、スポーツなどと比べると身体的負担が大幅に少ない楽器の演奏は、一度定着すると生涯にわたって長続きしやすいという特徴がある。老齢になって第一線で活躍するスポーツ選手はなかなか見かけないが、アシュケナージアルゲリッチのように、昔と変わらず超絶技巧を披露するピアニストは少なくない。下手の横好きかもしれないが、私がこの先も細々とピアノを趣味とし続けるだろうと言い切る理由もそこにある。初期投資は大きいかもしれないが、長々とやっていけるのであれば、実はトータルでは金のかからない趣味になるのではないだろうか?趣味が多様化した現代、世界規模では音楽人口が減り続けているというが、現在音楽活動を続けている人はこれからも根気よく続け、生涯の趣味へと昇華させていくのはどうだろうか。そして。最近、楽器を始めてみたいと思った人。最近、作曲を始めてみたいと思った人。始めるなら、今だ。限られた人生の中での「細くて長い生きがい」を見出すチャンスだ。


クリスマス・イヴとなる明日はid:Kroutonさん!Twitter上ではだいぶ前から知り合っている優秀な後輩です。よろしくお願いします。

*1:高校入学前にやめてしまったのは、高校の勉強のペースについていくためだった。今思うともうちょっと習いたかった。

*2:かのタワーレコードのコーポレート・ ボイスだそうだ。調べてみるまで日本発であるとは私も気づかなかった https://tower.jp/nomusicnolife

*3:ポ○モンで最初の3匹を選ぶ時の♂♀の割合と大体同じである(伝われ)

*4:例えばこの記事とか https://toyokeizai.net/articles/-/161721

【報告】お詫び、そして今後の展開について

本日は8月6日。広島原爆投下から73年を迎える今日、外に出る気を一瞬で削ぐような猛暑は相変わらず続いている。前学期の講義もすべて終了し夏休みに入った私は、今は研究室でバッハを聴きながら研究を進めているところだ。

 

・・・さて、このブログを毎日見に来て頂いていた読者の方々に、お詫びをしなければなくてはならない。

前回のブログの更新はいつだっただろうか?
7月23日。ちょうど2週間前だ。昨年の11月1日から「毎日更新」を標榜し続けてきた更新が、あの日を以てすっぱりと途絶えてしまったのだ。いや、実際はもう少し前で止まっていたと思う。思えば7月に入ったあたりで、毎日書く習慣が薄れてしまい、数日分の記事をまとめて投稿するような状態になってしまっていた。一度このフェイズに移行してしまうと、ブログを書くことが「楽しみ」ではなく「苦しみ」に変わってしまうのだ。いつしか、他にやりたいことがあるのに数日分の記事を書かなければならないという義務にとらわれてしまうようになった。

11月から250記事超を経て、この状態が本当にこのブログのあるべき姿なのだろうか、と思い直すようになった。端的に言えば、私はブログの更新が辛くなってしまっていたのだ。記事の更新を楽しみにしていた方々に対しては、本当に申し訳ない。

更新を始めた当初の目標としていた「文章の要約力」については、当初に比べればかなり身についたように思う。しかし、毎日更新を続けるためにはあまりにネタが足りなさすぎた。大学の学部ならまだしも、大学院生活というものは割と単調な生活の繰り返しである。ここ数ヶ月は講義を受けて、コードを書いて、研究を進めて、の3つを行き来する日々で8〜9割であった。ここで研究の話をしてもあまり面白みがないし、そもそも私にとってはそれは色々とデメリットにしかならない。ネタを探さなかった私自身の怠慢もあるかもしれないが、言い訳をしてしまうとコンスタントにネタ探しに耽る時間を作ることができなかったのだ。そんなわけで、7月に至ってはほぼ毎日「暑い」「進捗があった」「1日寝てた」といった旨の日記が連続し、記事の情報量や品質は日に日に落ちるばかりであった。極め付けには、7月当初に触れた記事である。無い袖は振れない。ネタを絞り出してつまらない日記を書くことに、私も飽きが来てしまったのだ。
そして毎日更新となると、その日のことをその日のうちに書かなくてはならないという制限が暗についてくるのだ。このことに気づいたのは更新を初めてわりとすぐのことだったが、実はこれが意外に重荷となった。その日のことを綴る頃にはもう深夜になってしまっていて、ブログを書くためになかなか時間が取れない。日付の事ばかりを気にして書こうとしていたのは間違いなく失策だったと思う。

色々と述べたが、本日を以ってこのブログの更新スタイルを変えることにする。

ひとまず、「毎日更新」は取り下げることにする。つなぎのために短文のつまらない日記が続いたところで、面白くもなんとも無いからだ。そして、毎日更新をやめるに伴い、リアルタイム性も少し緩和させることにする。リアルタイムな情報はTwitterがあれば十分なのだ。こうすることで、少し前にあった話題に関しても腰を据えて叙述することができるだろう。

さらにもう一つ、少し専門的な話題を増やそうと思う。おそらく研究そのものの話は今後もほぼ触れることはないだろうが、日記ばかりでは食傷気味なので、関連する話題を分かりやすく紹介するといった機会を設けられればと思う。以前のフーリエ変換に関する記事みたいな形で取り上げていけないか、画策中だ。

大幅な更新スタイル変更をするに至ったが、これからも暖かい目で見守っていただければ幸いである。2週間ほどブログをお休みしてしまったが、この間には結構イベントがあったので、後に少しずつまとめていければと思う。

先週は地元の花火大会を見に1日だけ帰省していた。昨年は卒論でそれどころではなかったため2年ぶりの鑑賞になったが、今年も圧巻の1時間半であった。今年はカメラを片手にバシャバシャと写真を撮りまくってみたが、やはりベストショットは難しい・・・。

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更新される日本の最高気温

tenki.jp

調布では予想最高気温が38度とされていた今日。この勢いでは史上最高気温が観測されてもおかしくはないだろうと思っていたが、まさか本当に塗り替えられるとは。最高気温観測地点は、再び四万十・江川崎から熊谷に。都内においても、観測史上初の40℃超が観測された。大学は当然のごとく電力使用量が緊急対応レベル相当となっていた。風通しは良く湿度も低めであり、先週の火曜日・水曜日のような茹だるような暑さよりはややマシな天気であったが、土日は部屋からほとんど出なかっただけに、外に出た途端めまいを感じた。10分も外にいれば本能的に水分が欲しくなるような暑さだった。こまめな水分補給は必要不可欠だ。

とりあえず猛暑はひとまずピークを迎えるらしく、明日以降は荒天となる予報もある。しかしながら、この時期の雨の日は低気圧になりやすく、それはそれで気分がすぐれなくなりそうな気もする。穏やかに過ごせる気候がやってくるのは、あと2ヶ月以上は待たなくてはならないだろう。

らいさま

前期の講義や輪講が落ち着いたところで、ようやく研究に関して方向性を考える時間が出てきた。明日の週報で伝えるには間に合わなさそうだが、来週1週間は少し落ち着いて考える時間になりそうだ。何となく溜め込んでいた緊張感をホッと下ろせる瞬間。来週は地元の花火でも見ようと、少しばかり実家に戻る予定だ。東京と、地元の栃木とでは、1~2度程度の差ではあるが栃木の方が涼しい。電車通学をしていた時代の冬は、時間の経過と場所の移動が相まって、大学を出る時と実家に着く時の気温が5℃近く違っていたのも思い出話である。

夏の気候で決定的に違うのは、雷の頻度である。栃木は雷様(らいさま)の通り道、雷銀座と言われるほどの雷に見舞われる地域。日光や那須連山などの周辺の地形に伴って上昇気流が発生して放電が起こりやすくなっており、ライラック色の稲光が目の前の空を迸るのは夏の風物詩の一つである。大学にいる時間帯は、ゲリラ豪雨は遭っても雷雨に遭うことはほとんどなかったが、その間に実家の方は雷が轟音を響かせていたいうことがしばしばあった。こちらの方では雷が珍しいらしい。今年は猛暑がすごいけれど、東京に居て落雷が発生したと言う話は未だに聞かないな。

「暑さ」はメリットになりうるか

いくつかの講義は既に終わり、まだ終わっていない講義もそれぞれ残り1回となり、週末がやってきた。

今日から週明け月曜にかけて、また猛暑が酷くなるらしい。7月もようやく下旬に入ったばかりだというのに、今年の夏は本当に早いようだ。この暑さも相まって、つい先日の仕事も在宅に切り替わったりしている。外を歩くだけで汗びっしょりになる日々。早いところおさまって秋にならないだろうか。

「暑さ」というものは私たちの体に現れやすい影響から順にかいつまんで考えるとデメリットだらけである。熱中症の原因でもあり、作業効率の低下の原因でもある。しかしそんな中で、メリットも囁かれている。「蚊」が出ないというものである。

nlab.itmedia.co.jp

蚊もまたこの暑さには弱いらしい。言われてみれば、今シーズンは驚くほど蚊を見かけない。流石に今年全く刺されたわけでもないものの、去年と比べれば明らかに差がある。残暑が長引き、シーズンが遅れて刺される可能性はあるかもしれないが、この暑さと同時にかゆみがこないのはありがたい。

暑さにはメリットもある、ということで私も考えてみると、「洗濯物が爆速で乾く」というのはメリットなのかな、と感じた。生乾きになりがちな冬の数倍の速さで一気に洗濯物が乾いてくれるのは暑さの恩恵であると言えよう。

マクロな視点で見れば、「暑さ」は経済を回す力を秘めているかもしれない。例えば飲料が飛ぶように売れるのもこの暑さがあってこそだし、先の小中学校へのエアコン導入もまたその一つとなりうるのではないだろうか。

うなぎ:絶滅か、VRか

本日7月20日は2018年の土用の丑の日。といっても、今年は土曜丑が二回あり、8月1日には二の丑が来るのだが。
土用の丑の日には「う」のつくものを食べることによって夏バテを防ぐという言い伝えがあるとされ、江戸時代以降、殊に「うなぎを食べる日」として定着している。ちょっとした贅沢品でなかなかお目にかかれないうなぎだが、土曜の丑の日はいけいけどんどんとうなぎの流通が盛んになる。
・・・ともてはやされ続けたのは少し前までの話。ここ数年はうなぎの漁獲量が恵まれない状態になっており、2014年には、ニホンウナギ保全状況"ENDANGERED"に、すなわちれっきとした絶滅危惧種とされた。ネットニュースをめぐっていればこのくらいこのくらいの知識は入ってくることだろうが、絶滅の危機をめぐってうなぎを食べて良いのか悪いのかどうか、土用の丑の日が近づくたびに議論されている状況である。

私もうなぎは好物で、卒論の発表前にパワーを貰おうと金欠を顧みずうなぎを食べに行ったほどである。しかし昨今の議論を巡り、この土用の丑の日に限っては逆にうなぎを食べようという気分になれなくなってしまった。大規模な流通が行われるこの土用の丑の日に、一人うなぎを我慢したところでうなぎの絶滅が遠ざかるなどあまりにも馬鹿げた話であるが、生きているうちにありつけなくなってしまうかもしれないという気持ちが根底にあるのだ。西友で3割引の値札が貼られた大量のうなぎの蒲焼弁当を見かけたが、あれは廃棄されてしまうのだろうか。どうもいたたまれない気分になってしまった。

一方、大学の生協はこの流れを逆手にとったのか、先日から素っ頓狂なイベントを始めていた。

 うなぎのたれ飯。要するに、あのうな重のうなぎ抜き。実際のところ好評だったようで、フェア最終日となる今日は大学の生協にもテレビ局が取材に来ていた。取材に応じた在学生はうなぎをVRで代用してはどうか、という意見を出していたが、代用可能になる未来はそう遠くはないかもしれない。

就活に対する怨嗟をめぐる

一大学生としては興味深い話題。「就活を経て嫌いになった企業ランキング」がTwitterで話題になっていた。

www.kuranosukessk.com

5月半ばごろより、意見の集計が始まっていたことは知っていたが、このほど最初の集計結果が公表されたようだ。既に19卒の就職希望者はほとんど内定先が決定しており、修士課程で大学を出る予定の私も、一年後にはどこかしらに内定が決まっている(希望的観測)のだが、企業名を挙げて怨嗟の声がネット上を駆け巡るようになったのは、まさに売り手市場を象徴づける出来事ではないだろうか。中には応募者側の言いがかりのような理由で名指しされていた企業もあったが、爆発的にスプレッドしただけに、来年以降は企業側も人事の態度やシステムを見直すところも増えていきそうだ。・・・増えると信じたい。

A4・29ページにわたる「嫌いになった企業とその理由」を読み進めると、何となく想像はしていたが、就職斡旋企業への不満が多い。やはりとも言うべきか、就職活動におけるサービス利用者の絶対数が多いだけにこれは必然なのだろうが、理由づけには案外もっともに感じるものもある。英語をペラペラ話せるわけでもないし、郷に入っては郷に従えとはいうが、日本の半ば"儀式的"な就職活動には既に私も疑念を持っているところである。その儀式的な活動の中には、かの企業の取り組みによって発生したものも無きにしも非ずだったりする。斡旋に頼りっきりになるのではなく、自身の実力で引き出してもらえるようにするようにしていかなくてはと感じた。