輝き ~ 脱・三日坊主計画

要約だよ人生は

計画の質

今日は昨日から続く3連休の真ん中である。今年2017年、3連休以上の休みが続くのは8回あり、今回はそのうちの最後の3連休だそうだ。それにしてもこの「3日間という休み」はどうも特にたるんでしまうようで、予定を入れることもなかった私は家で金・土曜を自堕落に過ごしてしまった。「休日」とはいえども休み過ぎではないだろうか、気付けば明日で3連休は最終日だ。記事を打ちながら、明日も同じように過ごしてはまずいと、明日の計画に頭を巡らせる。

休日というのは自由だ。予定を自ら入れたりすることもない限り、ずっと布団の上でごろごろしていても誰からも怒られることはない。数時間前までの自分は多分、こんな気持ちで惰眠に明け暮れていたのだろう。しかし今思えば、あの時間を使って部屋の片付けなり勉強なりなんなりできただろうにと後悔の念を感じてしまう。所謂「賢者タイム」的なものだろうか。

なぜ私がこのようにして休日を無に帰してしまうのかを改めて考えてみたが、それは計画の質によるものが大きいようだ。
平日ならば、大学の講義やら仕事やら研究室の輪講やら何かしら予定が入っており、それらは時刻までも定まっているので、それに合わせて行動するようになる。具体的に予定が定まっており、計画の質は高い。
しかし、私の休日はそれがない。「明日からは3連休だ、○○をしよう」と頭の中では考えても、それに強制力が足りないらしく、結果的に睡眠欲が勝ってしまっている。

何か月も前からカッチリ計画を決める必要はないだろうが、少なくとも近い数日間の予定となれば、何時くらいから起きて何時から実行するか、ぐらいは考える習慣をつけるようにしたい。というわけで、私は明日の計画を考えるのに夢中なのだ。

 

4日目の記事にたどり着いた。これでとりあえず三日坊主は卒業だろうか?